記者会見場に現れた関塚隆監督の目は真っ赤に腫れていた。「非常に残念です。選手にメダルを取らせてあげたかった。それができなくて、本当に残念な気持ちです」。銅メダルを獲得した1968年のメキシコ五輪以来のベスト4。しかし、メダルまではあと一歩のところで届かなかった。
「2010年にチームが立ち上がってから、ロンドンオリンピックでのメダルを目指してやってきた。そこに手が届かなかったことは残念だが、この期間に若い選手が伸び、成長してくれた。メンバーが代わってきた中でも同じ目標に向かって2年間やれたことは、関係者、選手に感謝している」
試合後、ピッチに座り込む、あるいは倒れ込む選手一人ひとりに声をかけ、引き起こしていった。「選手たちは最後まで力を振り絞って、ピッチに立っていてくれた。『お疲れさま。最後、しっかりみんなで挨拶をしてロッカールームに戻ろう』と」。2010年秋の立ち上げから2年弱。そのラストマッチを終えた指揮官は、ロッカールームで選手に最後の言葉をかけた。
「ドーピング検査の2人(東慶悟と清武弘嗣)はいなかったが、選手は最後まで勝つ気持ちで戦ってくれた。大会を通してメダルを目指し、一体感を持って戦ってくれたことに感謝していると。そして、この悔しさを忘れずに、これからもっともっと成長していこうと話した」
そう語る関塚監督の目には涙があった。DF吉田麻也は「セキさんが泣いていて……。もらい泣きしそうだった」と明かす。メダル獲得はならなかったが、戦前の下馬評を覆す快進撃で44年ぶりのベスト4進出を成し遂げた価値は変わらない。「44年ぶりにオリンピックで6試合戦ったことは必ずこの先に生きる」。そう語りかけた指揮官の言葉を胸に、選手たちがこれから先にどうつなげていくか。2年後のブラジルW杯、さらには2018年のロシアW杯で、ロンドン五輪の成果が本当の意味で試されることになる。
本気の相手に6試合も戦ったんですから、きっと次につながるはずです。
そう信じてます。
最後は、永井謙佑と心中した感じですが、
その判断は結果はどうあれ間違っていないと思います。
お疲れさまでした。
その手腕はぜひJリーグで生かして頂ければと思いますね。